ニョイ

初めは中2だろうか

学習塾(都立に強い〜)に入った

そしてそこの英語の先生が呼び始めたのが

「ニョイ」

だった

イントネーション、このブログでは複数回触れているよね

オリジナルは先に来るんだよね

なんとなくかな

気に入っていた

しかし、大勢は決まっていたので"当時の"友達の呼び方が変わることもなかった

 

高校入学

念願のスマートフォン

LINEももちろんインストール

いきなり本名は怖かった

そこで使ったのは「ニョイ」

かといって自己紹介で披露することもなく

ネット上限定のハンドルネームっぽくなった

この呼び方で定着していたのは記憶する限り2人だけ

(その2人はなかなか妙な形で人生に絡んでくれた)

 

 

そして高校も卒業式を迎え、進路も決まり

ミニ卒業旅行とマイプロデュースで秩父に行った

流れは覚えていない

そこでなぜか"忘れられない人"に

今となっては奇妙なLINEを送った

眠かったことだけは覚えている

半年前に一度フラれた子だ

その後も一時気まずい時期もあったが

それなりに仲良くしていた

 

返事を待つこと5日(半年くらい個人連絡は取っていなかったが元々早い子でもなかった)

クラスでBBQ(その子不在)をした

終わった後かな、なんかその話題になって

相談したらしい

そこで

めちゃんこダメ出しをされた

夜遅い時間、とても凹んだ

一つの恋の延長戦が終わったのだから

大学受験中の片隅の幸せな時間とともに

 

ちょうど4年前、2018年3月30日のことだ

翌日にはスプフェスを控えていた

始まる大学生活を前に、気分は底に沈んでいたが

翌日からの新たな出会いに

異常なる期待を持ってしまっていた

 

大学では下の名前呼び捨てが流行ると予想していた(実際にその通りだった)

かといって上も下も

名前が呼びやすいわけでもない

そこで使ったのは

ニョイ

ってニックネームを全面に出す作戦だった

 

そこから先1ヶ月で

今絡みあるタメと1つ上の人は

ほとんどの人に出会っているはずだ

(例外2人くらいしか思い浮かばない)

 

さらに

異常な私がそれ以上に異常に見えたのは先ほどの

絶妙なタイミングでの自爆と

逆に吹っ切れてネジが飛んでいた期間のせいだろう

出会った人の当たり度(差し引く要素はわすれている、数日前見かけたような)

は今も誇りだ、人生でいちばんの大吉だろう

教養学部政策の成功でもあった

(この影響で、2年の終わりくらいまで教養以外の人間関係が広がらなかった)

 

異常に見えた理由はもう一つある

恋愛脳が壊れていたからだ

チョロいどころの話ではなく

壊れていたのだ

舞い上がってしまった私のテンションも爆上がり

溜まったストレスで人に当たるかのように

舞い上がったテンションで暴走していた

(その人のことを一体何人が知っているのだろうか、ほとんど人の名無しさんであることを付け加えておこう)

先輩もさぞかし驚いたことだろう

 

落ち着いたのはいつかはわからないが

その時にはチョロさも落ち着き

ある一点だけを見つめていた

 

大学生活はこうして始まったのだ

 

笑えるくらい遠くから眺めるまま

夏の足音が聞こえてきたころ

Co、入りまーす

拍車がかかる……訳もなく

眺めるだけの日々

頑張って声をかけてみる、ことしかできなかった

そして夏が過ぎていく

皆が歴史的なおもいでをつくっている、それは私も変わらない

その一方で実は

歴史的だし楽しいけれど

無力さと寂しさを感じた、斜陽のような思いだ

これが真実だ

南の島での甘酸っぱいパイナップルジュースと

冷蔵庫の飲み物入れ

転換点はじわじわと近づいていた

すでに心は下り坂だったろう

できないことへ苛立つことなく

ただただ無力さを受け入れるしかなかった

チャンスがチャンスと捉えられない日々

 

どこかの飲みの帰り

自転車に乗りながら号泣した

不甲斐なさ、この一点だろう

 

近づかない距離

無責任な嫉妬

 

次の光を求め始めたタイミングでもあった

他の人は気づいていなかったみたいだが

数十%、体は別の方向を向いていた

ガスバーナーは敏感な訳もなく

あらゆるところで焚き付ける

11月3日もだ

どのように捉えているかは今でも乖離があると思う

でも

メシアのおかげで諦めをつけ

全てを押し殺して乗った西武線

間違えだらけだったけれども

満足感に襲われるものであった

 

空白の1ヶ月半

空白ではなかったのが実際だ

 

バランスを取るのに苦労した

負けたのが現実

荷物さえまとめて入り口から見守ることにした

ただただ、どうなるかことを見るしかなかった

救われたと気がついたのは

クリスマスイブまで時を進めるしかなかった

その一方で、上昇気流は始まっていた

ほとんどしないLINEが、今に近く動き出したからだ

 

一方

穴が空いた肌

埋めに走るのは当然だろう

 

見つけていたのも現実

歩いていた時間は

自傷の傷の隙間から今度こそ!

を思わせていたのかもしれない

 

ここで1ヶ月空くのもまあ笑いだ

そういった種を抱えたままの

センセーショナルな出会いだった

なんでかは忘れたが同時連絡をした覚えがある

片方は止まり、もう片方は歳を越した

続いた人とのエピソードは

各所で話している通りだ

 

経験のない実感

踏み出した一方が踏み固められた喜び

 

ポジティブなのはこれだけだ

ひっくり返され誕生日

 

悪魔の連絡は、九州から帰った翌日だった

 

落ち込む以上に

なぜなのかと答えのない問いを考え続けた

答えを聞いても納得できなかった

 

虚無が訪れたのは3月になってから

なぜか生死についてまだ考えたようだ

大学生活への恋愛への諦めもここからだ

現実になるよという言葉を当時の自分に投げかけたらどうなるのだろうか

奮起しなさそう笑

 

一方でこの一件を通じて、勝ちを実感した

「居場所」があることを実感したからだ

 

そして2年(文章のスピードを上げる)

嫉妬という言葉を使った1年が経ったものの、それはほんの1事象だったことを思い知る

先に触れておくと

周りの話が多過ぎる

自分の話はない(当事者含め勘違いしている人が多い)

これが結論だ

 

基本、はじめての後輩

4月の初めから失言なのかな

手足をブロックされ何もできない

出来るだけいろんな人と仲良くしようと試みた

できたかはわからないけど

引き抜きができていた模様だ

 

一方で何かをとれば何かを失うとも思い知らされた

時間の配分ができなかった分

遠のく集団もあった

 

成し遂げたことは何もないが

「きっかけ」製造機にはなれたようだ

さまざまな人たちを繋げたね

 

留学にも行ったね

完全アウェーの中で

ちょっとの自信と

絶対にできないだろう経験

「ニョイ」としての立ち回り

結果的に意識し始める契機でもあった

不安ばかりのスタートだったけど

また行きたいと思わせるほどの楽しさがあったことを加えておく

 

帰国してからは怒涛の日々だった

スケジュール帳がカラフルだった

 

8月,9月,10月

方針を変えた期間であった

なににプライオリティを置くか

うまくいかないことにエネルギーを費やしていたのではないか

騒がしい周りを見ながら考える時間だった

諦めと選択と

結果的に

一部の上壁が吹き飛び

旅行しよう!って決心をすることとなった

正解だったと、今は思う

積み立てられたものは大きい

 

そこからは旅行三昧だったね

1人旅を中心としてね

やらかしも多かった期間

慌てることも多かったけど

どうにかなっていた

 

勢いのある期間だったから

充実していたし、楽しかった

その勢いのまま、コロナ禍に突入することとなる

 

世間は自粛期間

大学の授業開始も伸びた

家にいることは苦痛ではなかったが

物足りなさを感じるのが普通なはずだ

そんな中でも勢いは見えない形になる部分もあったが持続していた

電話・インスタライブ・オンラインゲーム・Zoom

繋がっている時間は楽しかったね

そんな日常を自宅に持ち込む中

唯一の外出の機会といっていいであろうバイト先では

渦の中で強引に新しい出会いがあった

特権乱用だったね

引き込まれるべくして引き込まれていった

必要以上にストーリー性も帯びていた

秘密の時間を過ごしているようで

不思議な感覚であった

ただ、今までなら確実に芽生える感情に出会ったのは雪を見るようになってからだ

寂しさを感じることのないまま夏が来た

世間は落ち着いたのか落ち着いていないのかよくわからないものの

ハズレのない夏だったことは言うまでもない

既存だけではなく新しい価値観との出会い

マンネリになってもおかしくなかった大学生活に

異常なる刺激を受けた、8月だった

一方9月は打って変わってブラッシュアップされた

「いつもの」の極地を目指す方向性も手に入れた

それは10月以降も続いた

期待を膨らませた『新しい』は萎むものも、膨らまないものもあり、継続性には欠けた

11月頭には外出禁止期間の提示がなされていた

ラスト○○と自分の中で題打って

カレンダーを進めイベントを楽しんでいた

12月中頃、震えながら朝帰りした日を境に

家と友達になる期間がやってきた

 

青春の一つの節目と共に2020年を涙で終えた

 

年が明けても人には会えず

ただやるべきタスクが目の前にあることが助けとなった

2月になって外出が解禁されたものの

控えめに控えめに

会える時間を楽しみつつ、勉強していた

 

そこから迎える春、夏は思うよりも厳しいものであった

いい知らせが来ない。

焦りはなかったが、この先への不安に潰されていた

土壇場で勝ち取った内定にも苦しめられる秋であった

一年以内のことなのに記憶がないってことは

相当苦しい思い出だったのだろう

その期間にも旅行があったが

空回りしているような感覚だった

深く考えず、目の前のことを追うようになっていた

 

新たな出会いを求めてみたりもしてみた

突きつけられたのは

美味しい話などないということだ

危機回避能力くらいだろうか

褒めることができるものはなかった

いつかリベンジをするのだろうか

最後の砦を頼り、醜くなったもの

失格の烙印を押されたのは

周りにはいない。

3ヶ月の期限が終わるともに

激動の1年が終わった

 

年が明け、解放された

やっぱりこの3ヶ月は長く、充実してたよ

コロナ療養期間、バイト納め、旅行ラッシュ

その後の期間もね

霧が見えるからこそ目の前の景色が美しく

それに集中することができたかな

 

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思うことを編年で綴ってみた

いつも通り頭でっかち

その場の気分なので

かけていないけど重要な事象も多い

ただ、頭でっかちなことは幸運に思う

なぜなら、私の大学生活は

出オチであると思うからだ

 

あの頃の話しかネタにできるものがないのだからね

先週今週、人はみな直近の話、未来の話をしていた

思い出話、それも遠い昔の話しかネタがないのだから

聞くことしかできない

話を振られたところで、自虐をするだけだ

効果的な話などできる余地がないのだ

騒がす時は騒がして

そのあと沈黙

出オチでしょ?

 

ただ、悪いとは思っていない

話聞いてるだけで楽しいもの

いつかの自分を思い出したり

聞き手に回る楽しさを学んだのは間違いなく大学時代である

 

貴重な経験だったのかもね

 

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『ニョイ』

単なるあだ名だと思っていた

しかし、隔離された空間で

変化の元に晒されると

いつしかそれがブランドのような

作られたもののような

形ができてきた

別にキャラを分けていることでもないのに

環境によって立ち回りが、人間が変わるように思えた

上京してきた地方の人が地元に帰ってすぐに訛りが復活する事象に似ている気もする

呼び名が、いつしかキャラクターのように像を持ったのだ

これを感じたのはコロナ禍に入ってから

ニョイとそれ以外の空間の比率が近づいてきてからだ

ニョイの空間が絶対的な比率を占められなくなったことにより

日常と非日常ではなくなったのかな

具体的な違いを詳しく説明することは難しい

ただ、ニョイの方が

遮って突き刺す発言が多い

積極的にボケた発言をする

ツッコミをあまり入れない

 

あたりは言語化できた

変であろうとしていたのかもね

それがなくても変な人だけれども

 

周りから見れば変わっていないのかもしれないけど

そこに違和感を感じる機会は多い

 

ニョイ

この3文字を使う機会も減っていくだろう

大学3年の入口の時に廃止も検討したからね

廃止っていうか、別の名前で使っていくこととか

置き換えはうまくいかなかったろうし

告知とか伝え方とか

そのコストが面倒だったからやめたけどね

響きが好きな、いいネームだったな

名前を説明する時間も省けたし

振り分ける時間も減ったし

変だと思う人は自分から離れていくからね

 

 

大学での4年間

「後悔はある?」って聞かれたことがある

何も出せなかった

ということは

何一つ後悔をしていないのだろう

 

いつかツイートしたことがある

あの時こうしていればって

その時ではできないことばかり(要約)

 

できたのにやっていないことがないのだろう

この期間

できることは全てやった

勉強、恋愛、就活、その他もろもろ、人間関係もか

この結果だ

大学は当初の予定通り最短経路で卒業できた

恋愛は、多くのことを学べた、結果を出せるようになる日が楽しみだ

就活は、どうにか明日から勤務できる、転職の心配をしながら働く義務も課せられずに済んだ

人間関係、満点に近い!

 

こういうことだ、悔いはないそうだ

よかったよかった

 

卒業に際して、母親からメッセージをもらった

 

無事卒業出来て安心しました。
高校以降は周りの人に恵まれた様で良かったです。

 

(抜粋)

 

この言葉の通りであろう

 

この4年間

どうしてっていうくらい出逢いに恵まれていた

最大の自慢である

自分よりレベルが高い人ばかり

(下にみれる人がいないんだ!、自虐し放題)

成長できたかはわからないけど

知らない世界をたくさん教えてもらったし

そこに連れていってもらえた気がする

メルヘン世界の中学生から

現実の高校生くらいにはなれたかな?

なれているといいな

 

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今、思うこと

出会えてよかったってこと

必然の出会いもあれば

偶然の出会いもある

もとより、自分の大学に入れたのも

限りある可能性の小さな一つ

そして本筋ではなかったのだから

そこにセットされていた可能性の中でも

また異質のルートを辿ったように思える

偶然の出会いに全ての身を預けたからね

あの番号の札に出会っていなければ

どのような大学生活であったのか気になる

出会える人もいる

出会えない人もいる

少なくとも旅行三昧になることはなかっただろう

数奇であると分かっているからこそ

価値ある時間だったと

胸を張っていられるのだろう

 

 

 

 

感謝の言葉。思い浮かぶ、

それぞれにね

でも、

 

 

書けないよ

 

感謝っていつ伝えてもいいのだけど

なんかこの時に際すと

もう会えなくなるような気がして……

でも、、、これだけ、、、

ありがとう

また、どこかで

 

 

 

呼ばれれば飛んでいきたいな

呼ぶことは少ないだろうけど

 

ブログは続けるつもりです

次回の投稿もお楽しみに

 

2022.3.31

ニョイ